ニニの日記

白猫のニニ王子が、日々の暮らしを綴ってゆきます。

虚ろな目のマリア

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今まで描いてきたなかで

一番の生みの苦しみを味わった絵にまつわるエトセトラ。

すみません、話せば長くなります。



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クリスマスをテーマにした絵を12月の合同展示会で発表するため、

2007年の夏

私はウンウン唸りながらラフ画を描きなぐっていた。



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中間発表の場で提示したものに対して、仲間たちは首をかしげた。

「自分にしか分からない絵っていうのはどうなのかなと思う」

Sちゃんからスルドイ一言を頂戴した。



いろんな思いとともに涙が溢れ出してとまらなかった。

とかくひとりよがりになりがちで、

いつも反省しては

いつの間にか同じことの繰り返しなのだけど、



少なくとも世に出す芸術作品においては、

それが絵画であれ音楽であれ文学であれ

誰もが心の底に持つ共通項を掴み取らなければ・・・

要するに

他の人にも「ああそうだよね、わかる」と

共感してもらえなければ、失格なのだ と気づかされた。



一からやり直しだ。



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秋になってもウンウン唸りっぱなしの私に、Sちゃんは

一冊の本を紹介してくれた。



遠藤周作『聖書のなかの女性たち』。

彼女が卒論のテーマとして取り上げた作家だった。



本の中に以下のような描写があった。



「聖ルカ福音書には

『マリア、産期みちて子を生み、布に包みて馬槽に臥させおきたり』

と簡潔に記していますが、

マリアがキリストを生んだその洞窟にも馬や牛の糞や、

吐き気のするような臭いがこもっていたにちがいないのです。

藁の上にマリアは体を横たえ、

ヨセフ以外には誰も助けてくれる友人もなく、

その瞬間のくるのを

額を汗で濡らしながら待っていたのでしょう」



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完成した作品を、Sちゃんは展示会の搬入の際に見てくれた。

たったひとこと

「泣きそう」

ポロッと一粒こぼれるような呟きだった。



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すべてが終わった打ち上げの時に

私が描いたマリアの話になり、

彼女がボソッともらした言葉も忘れずにいる。



「あの子のなかに、あの女の人の虚ろな目がある」



作為的に描いた中の無作為な部分に、作家の真実はあらわれる。



思いあたる過去があった。

その過去は、自分にしか分からないことである。

それでも他の誰かに、このような形で伝えることができるんだ。



* * * * * * * *



かつての出来事を作品として昇華することができ、

他の人の心に、ほんの少しでも触れるものを遺すことができて、

作者冥利に尽きる

と言っても、私にとっては過言ではないです。



最後に、Sちゃんの友情に深く感謝。



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